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中学・高校生くらいで死にたいとはどういう事か


こんにちは。
NaviatorEnterprise代表の☆です。

最近、ネットで高校生くらいの自殺志願者を集めて連続殺人を犯す。という極めて卑劣であまりにも切なくなるような事件が起きていて、やりきれなさを覚えます。
自殺志願とは言っても、本音の本当の部分では、「死にたくなかった」若者達かも知れません。そう考えると許されない犯行だと誰もが思うでしょう。

今回の記事のフォーカスは犯人に対してではなく、「死にたい」と口にしてしまう若者達です。

そもそも、まだ10代半ばの人生これからという時に、「死」という選択肢が入ってしまうというのは、本当に悲しくなります。”一般的には”
この”一般的には”と言うのがミソで、個人的には若者に限らず、「自殺」と言うものの是非はとてもではないが、「決められない」と思っています。

最近、Yahoo知恵袋でも、「死にたい」と質問する若者に回答しましたが、「自殺が悪いとは言えない。」などとは書き込めませんでしたね。流石に。
勿論「良い」とも言えません。

”他人の生死に関わる事を気安くどちらも促す事など出来ない”という事です。
「自殺防止」などのキャッチフレーズを見ると、「その人の生」に対して24時間全力で責任を負えるのか???と軽い憤りを覚えます。

「自殺」した人を憐れむような社会風潮ですが、私は寧ろその逆の印象すら受けます。「生きている我々が憐れ」なのです。
自殺する人から、この世界に生きる全ての人や世界そのものに「価値が無い」と逆に切り捨てられてしまったのです。
という考え方も出来ると思うのですが、あまり聞きません。

見る視点で意味などどうとでも変わる。という事です。

自殺する人の共通点は、視野狭窄による情報の入手経路の停止と思考停止。勿論、これは物理的な視野の事ではなく、心理的な視野の広さ、柔軟性の事です。
「人は希望が無くなったときに死ぬ」とはよく言われますが、希望とは一種の情報です。

10代などまだまだこれからなのに、何も知らない子供がなんで自殺なんかするんだ!と憤りを覚える人が多数を占めると思いますが、「何も知らない故」に他なりません。
若いが故に上記のような現象は加速するのかも知れません。とにかく「情報不足」なのです。

10年20年そこそこの僅かな時間で培った「当たり前」や「常識」に縛られすぎ、それが視野を狭くし「閉塞感」つまり「息苦しさ」を引き起こします。そうすると、「情報不足の連鎖」です。

このITが発達した情報過多の時代に何言ってんだ?と思われるかも知れませんが、逆に多すぎる情報故、本人に本当に意義のある情報は埋もれてしまいます。
それは一見、無関係に思えるものだったりもします。スコトーマ(心理的死角)というやつです。

世の中はどんどん便利になり、人々はあまり「考えなくてもよく」なっています。考えなくても良いのですから、視野を広げて色んな可能性を考察する必要はありません。すると、どんどん視野が狭くなります。

質の悪い事に、本人に情報不足という認識はありません。
今自分が持っている情報が全てだと思い込みます。

そうすると絶望感しか湧きませんから、死にたくなるのも無理はありません。

自殺する人間より、普通に生きているようにみえる人間の方が圧倒的に多い事に疑問すら沸かないかも知れません。
「お前ら疲れないのか?マジで死にたくならないのか?」と。

それは見ているものが皆違うし、見るものが違うという事は持っている情報が皆違うという事です。特性もあるでしょうが、それは個人の行動から認識。すべてが変わります。

「死にたい」などと思わないような、メンタルの鍛え方や方法論は実に様々なものがあり、確立されてもいますが、根幹の根幹、さらにその根底まで掘り下げて学べるものは、そう多くはないと確信しています。

科学的にアプローチする。心の正体
神揺論 科学的に折れない心を作る方法

これをご覧になり情報を集めた方は、きっと「やるべきことがある!」と思える何かが見つかるはずですし、そう願っています。


内容だけに今回はヘビーな文章になってしまいました・・・・('Д')

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