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何のために生きるのか


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何のために生きるのか?


誰もが一度は考えた命題ではないだろうか

私の回答

そんな事を考えること自体が暇。

である。

確かに色んな回答がある。

「幸せになるため」

「遊ぶため」

「修行のため」

もちろん他にもあるだろう

しかし、万人を納得させる明快な回答

など、存在しない。

と、いう事は・・・

「生きる為に生きる」

逆に言えば「死なないため」

つまりは、それ自体が究極の目的なのかも知れない。

人間以外の動物は、そんな事を考えない。

常に「生きる」か「死ぬ」か。だ。

まず、何より「生きなければ」ならない。

個体でより強くなり獲物を捕らえる事で、生き長らえるか

捕獲されないように知恵を働かせ、生き長らえるか

「種」で考えた時、自分の子孫をいかに増やして

絶滅しないようにする「生存戦略」で生き長らえるか

つまり

「何のために生きるか」

というのは、生物学的に見れば、愚問中の愚問だという事だ。


人類はどちらかというと、集団で絶滅しないように

「生存戦略」を磨き、その頂点に君臨した種と言える。

そして、人類の歴史から見れば、長らく生物としての生存競争

つまり、「生きる」か「死ぬか」という状況からは

多少なりとも「余裕」と言えるものが出てきた。


現在の日本に普通に住んでいる限り

「生命の危機」に脅かされることは稀と言える。

しかし、生物の歴史から見れば、そのような「余裕」が生まれたのも、ごく最近だ。

つまり、我々の脳の根本では

「サバイバルモード」であり、

それは「余裕」がある状態でも、機能してしまう。

哲学的な純粋な疑問からなら、まだ問題はないが、

メンタルがやられた挙句、何のために生きのるか?

などと考えてしまうのは、ある意味「平和ボケ」

と言える一方、折角「生命の危機」

から距離を置ける「余裕」があるにも関わらず、

自ら「余裕」を無くす、本末転倒な状態に陥るケースも多くみられる。


「何のために生きるのか?」

あえて、あらゆる観点から考察し、

「余裕」を取り戻すのも

愚問とは言い切れない。



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