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悟りを開いた人を怒らせる事は出来るか


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「悟りを開いた」

という人間に無礼な行動をとるとどうなるのか?

宗教的に「悟りの定義」は色々あるとは思うが、核心の部分では似通ってもいる。

「悟り」の定義は、科学的にアプローチする事が可能だ。

理論的に言えば「スコトーマ(心理的盲点)」を外し切った人間。

言い換えれば、物事の重要性を完全にフラットにした人間という事になる。

人間にはRAS(重要性関数)と言って、物事に無意識レベルで優先順位をつけて、優先度の低いことは「見えない」ようになっている。

この心理的な死角の事をスコトーマと言い、そうしないと、入ってくる情報量が多すぎて脳がパンクしてしまう。

人はそれまで生きてきた経験から、それぞれに重要な事(人や物)や重要な価値観をそれぞれに持っている。

「五感感覚」に訴え、「臨場感」のあるものほどそれは高まる。

それが重要であるほど、「感情」に与える影響は大きい。

感情的になれば、他の人から見たら、

その人が「冷静な判断を下せていない」と感じる事は、誰もが経験済みだろう。

強い光の物陰には暗い闇が出来るように、その重要性が高いほど陰に潜んだ闇は見えなくなると言ったところだ。

悟りの一般的なイメージとして
「物事に執着せず」というのは言い換えれば、「重要性」。

何も重要に思わないのだから、感情には影響しない。

ある人が言っていたが、自分の大事な人や物も、その辺のゴミも等しく「重要」と思う事が「悟り」だそうだ。

そうする事で、物事の重要性をフラットにし、死角を無くしているのだ。

すべての物事は「相対的」とも考えられるため

「全て無価値」=「全て重要」

と言う考え方もできる。

厳密に言って「悟りを開いた」人間は存在し得ない。

先にも書いたように、そんな事をしたら脳がパンクする。

ただ、その時々で「一瞬だけ」悟りを開いたような境地になったり、ある程度「自分の重要性」をコントロールして、通常はスコトーマで入ってこない情報を収集する能力に長ける人は存在する。

修行を積んだ僧などは、瞑想により、五感感覚を離れる事により、様々な「重要性」を薄めているのだ。


そのような相手に対し失礼な行動をとったと仮定する。

そのような境地に近づいた人間というのは「情報収集能力」に秀でる事は容易に想像できる。そして高い判断力から、「最適解」を導く能力にも長ける。

「怒り」を示す事が必要と判断すれば怒り、別の行動が最適だと判断すれば、違う行動に出る事も予想される。

セオリーに縛られる事なく、高い視点から自由自在に一手を繰り出す。

将棋や囲碁の名人などが、素人には考えもつかない一手を繰り出すのと同じように。


毒矢が刺ささり
「この矢はなんで飛んできたのか?どこから、
どんな角度と速さで飛んできたのか?」と考えていた人に、

釈迦は
「そんな事はいいから、早く矢を抜け。死ぬぞ!」

と言ったという。
そんな逸話があった。

「悟りを開いた人」が居たとしても、

一見、案外普通なのかも知れない。


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